2016年1月、成人の日の週末、福島駅から白河駅まで旧奥州街道を走った。年末に羽州街道とともに白石から福島までの奥州街道を走ったので、そのつづきになる。過去にもこのルートを上り下り1回ずつ走ったことがあるが、今回は冬の北風を味方につけたくて福島から白河へ南下した。
福島から白河の奥州街道は現在の国道4号と重なる部分がほとんどない。国道4号を通るのは鏡石矢吹間と白河市街への入り口の数キロだけ。郡山市の南北が混雑していて神経を使うが、ほかはまずまずの田舎道だ。福島から白河へ緩やかに登っていて、標高差は300mほど。福島市街を抜け共楽公園に登る道がまれに見る激坂であるほかは大したアップダウンもない。距離90km程度なので冬の短い日でものんびり走って日暮れ前にはゴールできる。
開発が進んでいる分だけ奥州街道は他の田舎街道より(たとえば白河街道より)街道風情は失われている。一里塚は1か所しか見つからなかったし、道標の類もほとんど失われていると思う。わずかに残された街道の名残を探しながら走った。
どこが旧街道かはウェブを調べるとあちこちに書いてあるので、それらを参考に事前にルートを引き、Garminに放り込んで案内させた。実際にたどると川や線路を渡る前後や切り通しのあたりで旧道の所在がわからなくなっていたり、旧道はあってもロードバイクでは走れない部分があったりするので、あちこち迂回した。
福島市街地を走り、南福島駅を過ぎたところで右の細い道に入る。ここから共楽公園へ登る道が旧街道らしいのだが、その坂道が過激で、福島在住の人には一度登ってみることをおすすめする。わずか500mほどの道のりで標高差が50mくらいある。昔、馬や荷車がここを上り下りできたのか、疑問が湧く。
共楽公園から、清水町、浅川新町、福島大学(金谷川)と過ぎ、美郷ガーデンシティーを越えると、相馬街道と奥州街道の追分に出る。ここから福島市松川の八丁目宿に入る。ここには古い石橋が残されている。
二本柳宿には、昔、道の真中に用水路があったが、今では道の傍らに移動されている。宿場の北端には枝垂れ桜がきれいな円東寺がある。
大七酒造がある根崎は拡幅工事が終わってきれいな町並みになっている。根崎から左折して続く竹田は家具屋が連なる職人町になっている。
二本松を抜けてJR東北線と国道459がクロスするあたりが大壇といい、戊辰戦争で二本松少年隊が戦った戦場跡がある。このあたりの旧街道がどこにあるかわからなかったが、どうやらこの階段に続く細道がそうらしい。
郡山市日和田あたりは断片的に松並木や馬頭観音、二十三夜塔など街道の名残があちこちに残されている。
福原宿、郡山宿、小原田宿、日出山宿、笹川宿と続く郡山市内は写真も取らずに通り過ぎた。須賀川に入るあたりからうっかりすると道がわからなくなる。路傍の供養塔で街道筋とわかった。
須賀川市は円谷英二の故郷であり、市街にウルトラマン、セブン、ゾフィー、ジャック、エレキング、ゼットン、ベムスター、ゴモラの像が置かれている。とりあえずゼットンだけ載せとく。
須賀川を出るあたりでJR東北線と国道118号バイパスが街道をぶった切っている。迂回、迂回して街道に戻ると目立たないところに一里塚があった。ちゃんと左右ともに残されている。「一里坦」「一里塚」という地名はあちこちにあるが現物があるのは福島・白河間でここだけではないか。
須賀川を出ると、いい感じの街道になる。鏡石宿と笠石宿はどこまでも直線の町で気持ちがいい。久来石、矢吹、踏瀬、太田川と宿場が続く。どこも気持ちよく走れるが日が暮れてきたので先を急いだ。
日暮れ前に白河に到着。白河ラーメンを食している時間がなかったので、駅でとら食堂ラーメン3食パックを買って新幹線で帰宅した。