2014年9月14日、東北本線の白河駅から白河街道を辿って会津若松へ走った。白河駅裏の小峰城の横には「会津町」が広がるなど、白河と会津は縁が深い。両地を結ぶ白河街道は会津五街道のひとつで、会津の人には白河街道、白河の人には会津街道や若松道などと呼ばれていた。
途中にある勢至堂峠や滝沢峠と沓掛峠は今春にも走ったが、白河側から白河街道を通しで走ったことがなかったので、できるだけ旧道に沿って走ってみた。
白河駅を発ち、阿武隈川を越えると、最初の峠があるはずの場所は工業団地と調整池になっていた。残念。
- 白河駅
- 阿武隈川
- 街道は工業団地に
白河を出て最初の宿場、飯土用宿から勢至堂峠までは小さな宿場町と小さな峠と一里塚の繰り返しとなった。宿場といっても長沼を除けばほんとに小さな宿場集落。峠道も勢至堂峠以外は名前も知られていないような道。それだけに車の通行が少なく、静かな、のどかな道だった。
- 飯土用宿の端には古い碑が並ぶ
- 飯出坂の一里塚
- 飯土用坂
- 滑里川宿は小さいが立派な倉が目立つ
- 上小屋宿の各戸には屋号看板がある
- 上小屋の夫婦岩
- 安養寺の一里塚
- 牧ノ内宿は家並みがきれい
- 木杭(ぼんぐい)の一里塚
- 長沼宿は旧長沼町の中心
- 江花宿
- 勢至堂手前の馬尾滝
- 勢至堂宿は現国道の下にある
- 勢至堂峠(通行止め)
勢至堂峠から黒森峠までは郡山市湖南町になる。三代宿、福良宿、赤津宿とつづくが、どの宿場も街路が直角に曲がり、火災の延焼を防ぐため道幅が広く、堀が流れている。ちょっと前までは大内宿と同じような町並みだったと想像できる。そういえば白河のスタートから道がT字やL字だったし、長沼や牧ノ内など各宿場の入口・出口もL字やT字、会津五街道の中心点「大町四つ角」は有名な食い違い十字路。「急カーブを曲がると町並みが見える」の繰り返しになっている。家はまとまって建ち、都市計画がある。街道から離れた山村で育ったせいか、家並みが揃い水路がながれる宿場には異国情緒のようなものを感じる。
三代宿は柏屋食堂の味噌ラーメンで昼食とした。通りでは秋祭りの神輿を子供たちが担いでいた。三代宿の各戸には屋号を示す木製看板がつけられていた。
- 柏屋食堂
- 三代宿
- 三代の一里塚は左右ともきれいに残っている
- 福良宿の志賀時計店は立派な茅葺(茅葺の時計店は我が国唯一?)
- 赤津宿
- 黒森峠の松
黒森峠を越えて会津若松市湊町に入った。湊には原や赤井などの宿場がある。神社の隣では秋祭りの準備をしていた。作法と伝統を守って祭りを続ける人がいるということがすばらしい。
- 高坂の一里塚(黒森峠)
- 黒森峠を下ると緑がきれい
- 原宿
- 白旗神社
- 神社の境内で祭りの準備が行われていた
- 湊の街路も鍵の手に曲がる
途中、猪苗代湖にも寄り道したため、日が暮れてきた。森の中は暗くなり、穴切ではカモシカが50m先をすっと横断していった。そろそろ熊の時間だと判断し、沓掛峠・滝沢峠の山道は通らずに、舗装された旧道を通って若松に下りた(冒頭の地図では旧街道を図示してある)。会津若松では会津まつりの旗が並んでいた。そういえば白河でも、三代宿でも、あちこちの神社でも祭りをしていた。秋の彼岸が近い。
- 猪苗代湖畔(笹山)に寄り道した
- 穴切の一里塚
- 穴切から赤井へ田舎道がのびる
- 赤井宿
- 会津盆地が見えた
- 金掘宿の田畑
- 鶴ヶ城(若松城)へ