市野峠

2009年5月24日、時空の路ヒルクライムを走った帰り、スタート地点に戻らずに市野峠を通って、高田方面へ抜けた。眠っていた写真を引っ張り出して、この小旅行について書くことにした。

明治16年、日本奥地紀行(Unbeaten Tracks in Japan)を書いた英国人旅行家イザベラバードが東北を旅したとき、彼女は大内宿に宿泊した後、下野街道をはずれて市野峠を越えた。彼女が馬子に引かれて馬で峠を越えたとき、急峻で泥だらけの路に苦労したようだが、現在の市野峠はすべて舗装され、ロードバイクでも越えることができる。

大内ダムを左にみてダムの周囲を走り、氷玉トンネルに入らずに左に折れ、しばらく走ると「イザベラバードの道」という標識柱がある入り口に着く。ここからコンクリ舗装された細い道を進むとほどなく市野峠に至った。

市野峠を越えてからは、イザベラバードも書いたとおりの、急峻な渓谷に挟まれた川沿いの道を下った。地元の人たちが落ち葉掃除をしていた。そのおかげもあってか、道は自転車で問題なく走れる。

やがて市野沢という小さな集落に着いた。ここの家並みは、茅葺屋根こそトタンに変わっているが、大内宿のように宿場の風情を残している。バードの記録にも女が仕切る馬宿があったとある。

市野沢を過ぎ、バードは金色の二つの寺があるところから高田(旧会津高田町)に入ったという。二つの寺は、富岡集落の福生時観音堂と領家集落の常楽寺観音堂ではないかという説がある。両寺は、今は金色ではないが、会津三十三観音の26番と25番の札所になっている。また、富岡、領家、その隣の藤田は、だれが賞賛するわけでもないが、とても風情のある集落だ(上の地図のゴール地点)。そこをバードが通ったとしたら、会津の小集落好きの私としては、ちょっとうれしい(会津三十三観音については後日書きたい)。

市野峠」への2件のフィードバック

  1. shuzo 投稿作成者

    市野峠の入り口の坂は路面の粗いコンクリだったような気がしますから、勾配はけっこうあったでしょうね。でも20%はないと思いますが。
    20%の坂道なんて存在するのでしょうか。
    会津近辺の激坂をランクしてみたいですね。

  2. ききょうや

    市野峠は入り口の激坂が印象的です。
    20%はあるようなきもしますがどうでしょうか。
    イザベラ・バードの足跡をたどってみましたが、旧時代の日本を歩くよすがになります。
    片門のあたりももう少し行ってみたいところです。
    来年は新潟から山形への道を通りたいです。
    金色の二つの塔の考察がすばらしいですね。
    漠然と(全く違う方角ですが)赤留・塔寺線を考えてしまっていました。
    反省ですね。

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